今の子どもたちは、グラフィックの違いを「新旧」の概念ではなく、「表現における一つの選択肢」として捉えているのでは?という仮説を描いた内容となっています。
新しいゲーム機の発売と共に、目覚ましく進化を遂げてきたグラフィック表現。その過程を目の当たりにしてきた我々大人世代にとっては、ドット絵が古くて3Dが新しいという認識を持っている方が大多数であるはず。
ところが、今の子どもたちにとってはどうでしょう。生まれた時から美麗なグラフィックのゲームに触れているため、大人世代とは少し認識が異なるのかも。
二児の母でありイラストレーターとして活動する「てらちあ」さんが、子どもたちとのやり取りから感じた「世代によるグラフィック観の違い」を描いた漫画が、ツイッターで大きな注目を集めています。
■ 世代によるグラフィック観の違い大きく2コマに分けられた漫画の1コマ目に描かれているのは、大人世代のグラフィック観。「ドット絵」「なめらかな2D絵」「3D絵」と分けられた3種類のうさぎの下に右方向の矢印が付けられており、左から順番に進化してきたことが瞬時に理解できます。
一方の2コマ目には、てらちあさんのお子さんである、今の小中学生世代のグラフィック観が。「ドット絵」「なめらかな2D絵」「3D絵」の下には三叉の矢印がそれぞれに向けられており、「表現の選択」と書かれています。
つまり、今の子どもたちは、グラフィックの違いを「新旧」の概念ではなく、「表現における一つの選択肢」として捉えているのでは?という仮説を描いた内容となっています。
■ 大人には「古い」表現でも子どもにとっては「一つの選択肢」筆者も幼少時から四十路目前の今現在まで、ずっとゲームが身近にありましたが、この考えには思わず「なるほど」と唸りました。
確かに、「テラリア」や「アンダーテール」といったドットグラフィックを用いたゲームが人気を博すなど、今でもその表現方法は第一線で活躍しているため、一概に「古い」とは言えないのかもしれません。
てらちあさんやてらちあさんのお子さんも日ごろからさまざまなゲームをプレイしているそうで、「そういえば娘たちからゲームのグラフィック部分について『古い』『新しい』という評価を聞いたことがないな……」と常々感じていたのだそう。
ちなみにお子さんがこれまでプレイしたゲームは「マインクラフト」から「スーパーマリオオデッセイ」「モンハンライズ」や「十三騎兵防衛圏」ほかインディーゲームやフリーゲームに至るまで、そのジャンルは多岐にわたります。
たしかにどれも比較的新しいゲームではありますが、それぞれでグラフィックの表現は全く異なりますから、てらちあさんの仮説は正しいのかもしれません。
ゲームのジャンルと言えば「RPG」や「アクション」といった内容で区分されてきましたが、これに加え「ドット」「3D」「2D」といったグラフィックの種類でも分けられるようになるかもしれませんね。
■ 投稿に多くの共感の声 「表現の選択」出来る子どもたちが羨ましい投稿には5万件を超える「いいね」が付くなど、大きな反響が。「うちの子たちも」といった声など、てらちあさんの仮説に同意の声が多数寄せられました。
こうした「表現の選択」が出来る子どもたちに対し「うらやましいです。その感覚でゲームをやってみたい!と思ってしまいます」と、羨望の眼差しを向けたてらちあさん。ゲームの進化を知る世代としては、この感覚はどうしても味わえないでしょうから、うらやむ気持ちはとても良く分かります。
続けててらちあさんは、「こういったものを遊んだ子どもたちがどのようなゲームを作ってくれるのか楽しみすぎるので、絶対長生きしようと思います」と、未来への展望も。
一時はハードの性能をフルに活かし、いかに美麗なグラフィックであるかを各社がこぞって競っていた時期もありますが、それはもう昔の話。そういや最近は「クソグラ」なんて揶揄もめっきり聞かなくなったような。
ドット絵でもローポリでも、ただひたすらに面白いゲームがプレイしたい。こう考えているゲームファンはきっと多いはず。今後も我々が想像もしないような、ユニークな発想のゲームが続々と生まれることでしょう。
(山口弘剛)

(出典 news.nicovideo.jp)
![]() | hikari ファミリーコンピューターが出始めた頃(1983年頃)に小学生・中学生だった世代は、一番左から順番に視て来たのでしょうけど。 ただ最近は「最初に触れたゲームはプレステだった」という大人も多いでしょうね。 |
![]() | 気ままな黒猫 昔何処かでだが、すべてのゲームは3Dになり2Dは廃れると言われていて、ソニーはPS1開発のときに3D描画にこだわりすぎて2D描画を蔑ろにしてしまった(メニューやUIなど2Dで描けば良いところをわざわざ3Dで描かせるくらいに)っていうのを聞いたことがある。それ故に人気ゲーム機となってもアーケードゲームの移植は2D描画スペック不足と作りづらさで苦労したそうな。 |
![]() | 100H(ヒトフタマルエーイチ) ファミコンやMSXあたりは故意に文字化けさせて画を作っている(文字の形データをいじって変形させ、その文字を画面に敷き詰めている)。それを更に動かすとなると狂気の作業が必要になる。見た目はもちろんだけど、技術も知っていると各時代の職人芸で作られているのが判って面白いよ |
![]() | ダイブン PS1時代の時は進化より退化を感じたかな。2Dで表現できて遊べるゲームをわざわざカクカク不気味なポリゴンの3Dにして大事なの失ってんなーって。今ではあの3Dが「味がある」と感じてしまう不思議 |
![]() | Fear ポケモンを赤緑から順にやってた人とか、FFを1とか2あたりから順にやった人とか、ナンバリング追ってやってる人は進化感じただろうね。昔のゲームは本体スペックとの戦いだったから、今と昔で同じ2Dでもちょっと違うんだよねぇ。特に、当時を知るとYs2のOPは本気ですごいってなる。 |
![]() | えびおん 常に画質を求めるのではなく、ゲームが面白くてそれに合う画質ってのが大事だよね。画質やシステムを追い求めても内容がクソならクソゲーだし、逆に画質は最低限でも内容が面白ければ脳内補完でカバーできるというよりその方がいろいろ想像できて楽しいこともある。それが全てではないけど… |
![]() | ruku むしろ製作者側がその固定観念にとらわれているんじゃないかっていう所はあったなぁ。現実に近ければ近いほど優れているという発想からなかなか抜けられなかった。最近やっとその必要がないことが広まってきた感じはある。 |
![]() | 風野妖一郎 コアなゲーマーはゲームの中身を重視するが、大多数のライトユーザーは見た目で判断して買うので当時の製作者はどうしてもグラフィックの向上に労力を割かざるを得なかった。かくして駄作が生まれた。現代はグラフィックに労力を割かない選択肢がある分、ちゃんとしたゲームを作れる時代になったのかも知れない |
![]() | tsk FF1のエンディングみたいなただ文章表示するだけの物でもリメイク毎に印象変わってるから グラフィックとそれに合わせた演出でプレイヤーに何を体験させたいかは出来ればちゃんと考えて作って欲しいとは思う |
![]() | Kurohiyo ドクターマリオから入って今はFPSが趣味のじいちゃんとか全部表現方法として見ているし、年齢関係なくアニメで内容より作画を過剰に騒ぐ人もいるから世代じゃなくてその人の価値観だろうね。年取って凝り固まると目に見える形で判断出来る”大人”側に近づいていくのかもだけど。 |
![]() | heiko 演劇でも歌舞伎(旧劇)が残ってたり歌でも演歌が残ってたりするのと同じ現象 2Dやドットは主流ではなくなったかもしれないけどこの先も廃れたりすることは絶対ない 3Dも2Dもどちらが良い悪いではなくそれぞれ独自の良さがある |
![]() | vulvul 進化論的認識として間違ってる事が今後どう影響するかは予想が付かないけど、ドット絵は「古いからもう駄目!」っつってる日本の大人たちが海外クリエイターたちのピクセルアートゲームに周回遅れ喰らってるんだよな。あらゆる素材をフラットな意識で使い分けられるという点で、若い連中は恵まれた環境にいると思うよ |
コメント
コメントする