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      タグ:東京


      豊洲初競り、大間産クロマグロ3604万円
       東京・豊洲市場で5日、今年最初の取引となる「初競り」が開かれ、212キロの青森県大間産クロマグロが最高値の3604万円で競り落とされた。…
      (出典:共同通信)


      ≡東京・豊洲市場で本日≡

      今年最初の取引となる「初競り」が開かれ、212キロの青森県大間産クロマグロが最高値の【3604万円】で競り落とされた。

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      1875年(明治8年)のこの日、東京・王子の「抄紙しょうし会社」の工場で営業運転を開始した。

      抄紙会社は、実業家・渋沢栄一(しぶさわ えいいち、1840~1931年)が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたもので、明治時代に入ってから間もない1873年(明治6年)に設立された。

      輸入に頼っていた洋紙の国産化を企図した会社であり、王子製紙の前身となった。 王子製紙の社名は、創業した東京・王子の地名に由来する。

      その後、合併を繰り返し、国内市場8割以上を握る巨大製紙会社へと発展していった。その規模から「大王子製紙」と称された。

      戦後の財閥解体政策によって過度経済力集中排除法の対象となり、1949年(昭和24年)に解体された。

      後継会社は苫小牧製紙・本州製紙・十條製紙の3社である。この3社はその後の再編により、現在の王子ホールディングス(旧:苫小牧・本州)と日本製紙(旧:十條)になっている。
      身近な家庭用の商品として、王子ネピアが製造・販売するティシュやトイレットロールのブランド「ネピア(nepia)」がある。
      ネピアの商品には、他にもキッチンタオルやウエットティシュ、マスク、紙おむつなどがある。 
      また、渋沢栄一は、第一国立銀行(後:第一銀行・第一勧業銀行、現:みずほ銀行)や東京瓦斯(東京ガス)、東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)、田園都市(現:東急)、帝国ホテル、東京証券取引所、麒麟麦酒(現:キリンホールディングス)、サッポロビール(現:サッポロホールディングス)、東洋紡績(現:東洋紡)などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」と称される。理化学研究所の創設者でもある。


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      東京唯一の路面電車 「都電荒川線」はなぜ残されたのか? 素朴なギモンに回答する
      …最盛期の乗降客数は1日「193万人」 都電はかつて、東京の街を縦横無尽に走っていた。筆者(下関マグロ、フリーライター)が上京した1980年代、その多…
      (出典:Merkmal)


      東京唯一の路面電車 「都電荒川線」はなぜ残されたのか?

      都電荒川線は「ちんちん電車」とも呼ばれ、1両編成の姿がとても愛らしい。
      現在はワンマン運転だが、かつては車掌が乗っていた。
      「ちんちん」の由来は諸説あるが、乗客が全て乗ったことを車掌が運転士に知らせるため、ベルをちんちんと鳴らしたことから――といわれている。
      その音は今も健在だ。筆者は、その音を聴きたいがために乗ることもあった。

      なぜ都電荒川線だけが残ったのか。 
      実は、都電荒川線も廃止される予定だったのだ。それを免れた理由としてよく語られているのが、 「専用軌道(道路以外の軌道)の区間が長かったから」 というものだ。
      都電荒川線に乗ってみると、確かに自動車などと並走する区間はわずかである。
      廃止された都電は自動車と並走することで、渋滞に巻き込まれ、定時運行ができなくなっていった。 
      理由はもうひとつある。それは 「バスへの代替が難しかったから」 だ。
      多くの都電は代替され廃止したが、都電荒川線と並走する明治通りは当時、渋滞がひどく、バスの定時運行ができない可能性が高かった。
      また、地元の存続への思いが強かった、乗降客の減少が他の都電と比べて少なかった、という理由もあったといわれている。
      ほかにも、なぜ都電「荒川」線なのかという疑問もある。
       都電荒川線は三ノ輪橋から早稲田までの全長12.2kmを走り、 
      ・荒川区 
      ・北区 
      ・豊島区 
      ・新宿区 の四つの区を通る(そのうち、約3分の1は豊島区を通る)。
      30ほどある停留所で荒川区の停留所は13と最も多いが、それだけの理由なのだろうか。 
      これについては、都電荒川線の成り立ちについて知る必要がある。
      都電荒川線の前身は1910(明治43)年創立の王子電気軌道だ。東京市が同社を1942(昭和17)年に買収し、市電となった。 
      こういった経緯から、当時を知る人たちのなかには 「王子電車(通称:王電)」 と呼ぶ人もいる。
      この王子電気軌道を基に、 ・都電27系統(三ノ輪橋~荒川車庫~王子駅前~赤羽) ・都電32系統(荒川車庫前~王子駅前~大塚駅前~早稲田) として営業された。 
      1972年11月時点で、都電のほとんどの系統は廃止された。
      前述のように、27系統と32系統も最初は廃止する方向だったが、2年後の1974年、32系統の全線と27系統の王子~赤羽間以外は正式に存続が決まった。
       このときに27系統と32系統が統一され、都電荒川線という名称が付けられた。
      もっとも、これは乗降客に案内するための名前であり、正式名称は別にあった。
      路線は四つにわかれていて、それぞれ 
      ・三河島線(三ノ輪橋~熊野前) 
      ・荒川線(熊野前~王子駅前) 
      ・滝野川線(王子駅前~大塚駅前) 
      ・早稲田線(大塚駅前~早稲田) という名前だった。
      これが1995(平成7)年度から、書類上の正式路線名も「荒川線」に統一されたのだ。



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      》》》》》えみちゃんトーク健在!

      タレント上沼恵美子(67歳)が、11月13日に放送されたバラエティ番組「上沼・高田のクギズケ!」(読売テレビ)に出演。「来世は、私、首都で頑張りたいと思っております」と語り、スタジオを笑わせた。

      この日、関西のお笑い芸人は、大阪で売れたあと、東京でも売れる、つまり2回売れないといけないという話の流れで、上沼は「大阪でおもろいこと言うてたって、ホンマに姫路から滋賀県までやもん、エリアね。だからあの汗と涙を戻してくれ、と私などは思いますローカルで流したエネルギーはものすごいから」と語る。

      そして「そういう(東京で売れる)チャンス、今世紀は迎えることができませんでした。死んで来世。来世は、私、首都で頑張りたいと思っております。本当にありがとうございました」と頭を下げ、高田純次は「来世に期待しましょうね」と適当にコメントスタジオゲストからは「いやいや、辞めるんですか(笑)」「今日で終わりですか?(笑)」とツッコミが入った。

      上沼は「もう辞めてるのよ、気持ちは。辞めてるねん。いま趣味よ。私ら。ボケ防止。そんなのにゲストに来ていただいて申し訳ないね。いやでもね、全力投球してますよ、いただいた仕事はね、がんばってるもんね〜!」と、高田と頷きあった。


      (出典 news.nicovideo.jp)

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      今ではすっかり定番となった「羽根つき餃子」は、餃子の聖地とも言われる東京都大田区蒲田で生まれたとされる。 
      羽根つき餃子が生まれたのは1982年(昭和57年)のことであり、東京・蒲田にある中華料理店「你好(ニーハオ)本店」が羽根つき餃子発祥の店と言われている。
      同店のWebサイトでは「蒲田名物元祖羽根付きギョーザのニーハオ」という文言を確認することができる。 
      その店の創業者でもある店主・八木功(やぎ いさお)さんによると、中国で食べた小麦粉の焼き目が美味しい「焼き肉まん」を思い出し、その焼き方を真似して餃子を焼いたところ、偶然にも羽根ができて「羽根つき餃子」が生まれたという。 
      中国の焼き肉まんを作る時、鉄板の上に置いた肉まんにお湯で溶かした小麦粉を上からかけて焼く。すると、その小麦粉が焼き目になって美味しい焼き肉まんができる。
      ただし、この焼き肉まんでは隣の肉まんとの間はあまりなく、羽根つき餃子のような大きな羽根はできにくい。 
      一方、焼き餃子の場合は隣の餃子との間が空いており、溶かした小麦粉がその隙間で固まり、その部分が餃子の羽根になった。
      このように、焼き肉まんの真似をして餃子を焼いてみたことがきっかけとなり、「羽根つき餃子」が誕生した。



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